探求 論理国語 ダイジェスト版
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こうした経緯からもわかるように、日本の博物館は、市民に開くことを目的として作られたものではなかったのである。その最大の目的は、近代国家としての象シ徴ボであり、そのために、どちらかといえば、モノを管理して収める空間としての側面が強い施設だった。その結果、日本の博物館は、開くべき先としての明確な受け手像を持たないまま作られた。その後「社会教育」の名の下に、多くの博物館が作られ、展示が公開された。とりわけ戦時中は、国民の啓蒙を目ば、博物館を作ったため、そこにモノを集めて保管し、それを市民に公開する、という順序になっていた。この結果、日本において博物館とは、象シ徴ボ的ッな意味合いを持ちながら、状況に応じたメッセージをそのつど効果的に伝達するメディアとして位置づけられてきた。機能主義的だったゆえに、西洋よりも直接的にその意図を媒介し、伝達するメディアとして働いたのである。もちろん欧米のミュージアムも、戦時中は国威発揚の波に巻き込まれ、その片棒を担ぐのだが、これはあくまでも限定的な時期の、限定的な機能である。ミュージアムの思想には、世界を領有し、分類することで権力を誇示する発想はあっても、直接的に国家のメッセージを媒介する装置としてのビジョンは伴っていなかった。一方、日本の博物館は、むしろそのような直接的な情報伝達を最優先する装置だったのである。点に共通する表現上の効果について、説明せよ。一つの原因に対する一つの結果など、論理の流れが一直線であるさま。ここでは、情報の流れが固定して一方通行であるさま。日常的に用いる道具類。ここでは、展示品などを陳列するための器材。0000000 クリン00000000000ルン解析「1①制度として」(10行目)、「②作る」(21行目)の傍要約本文の内容を二百字以内で要約せよ。解析「2西洋近代のミュージアム」と「日本の博物館」評論解析Bとの違いについて、両者を対比しつつ、「市民に開く」「メディア」の二つの観点を踏評論解析②まえて日本の博物館が作られた目的は、近代国家としての象徴を担説明うためだった―西洋近代型ミュージアムとの対比によるメせディア論です。よ。107 博物館というメディア  12什線器形的  欧的米とにし肩たを展並覧べ会らがれ多るくよ開うかなれ博、物メ館ッをセとーにジかをく送一るつ相で手もが初多くめ②作てる明確ことなだ像っをた結のぶで。あしるか。しし、たそがれっでても、重ど要ちだらっかたとの言はえ、評 論 解 析432520

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