探求 論理国語 ダイジェスト版
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んじ合あは能よく存ぞ申ま候。崇拝してゐる間は誠に歌といふものは優美にて「古今集」は殊こうらうしれり1ひとひりいつう5かさんらの1んきら 1「古今集」 「古今和歌2正岡子規 3痛罵 4貫之 集」。九〇五年に成立した、最初の勅ち撰せ和歌集。一八六七~一俳人・歌人。病床に伏しながら俳句や短歌の革新に尽力した。歌集「竹の里歌」、句集「寒山落木」、歌論「歌よみに与ふる書」などがある。痛烈な非難。え子規た「が一「撃古」今と集」は、に加どのようなことか。九四五?)。平安時代初期の歌人。九〇二。貫4之は下手な歌よみにて「古今集」はくだらぬ集に有こ之あ候。その貫之や「古今集」古典文学に興味のある人々が「1古こ今き集」を敬遠しがちであるとしたら、近代短歌の初発期における2正ま岡お子し規きの痛3罵が、いまだに影を落としているのかもしれない。短歌の革新を志した子規が、まずは伝統の要に位置する「古今集」に一撃を加えることから出発した事実は、広く知られている。次に引用するのは、明治三十一(一八九八)年二月十四日に新聞「日本」に掲載された「再び歌よみに与ふる書」の冒頭部分である。を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものの、実はかく申す生も数年前までは「古今集」崇拝の一人にて候さひしかば、今日世人が「古今集」を崇拝する気き味みにその粋すを抜きたる者とのみ存候ひしも、三年の恋一い朝てにさめて見れば、あんな意気地のない女に今までばかされてをつた事かと、くやしくも腹立たしくも相あ成な候。ょく紀き貫つ之ゆき(八七二?~鈴すず木き宏ひろ子こ「貫つ之ゆは下手な歌よみ」か?評論Ⅲお薦め評論③正岡子規は「古今和歌集」と撰者の紀貫之を痛罵したが、子規の感情や感性には「古今集」の余韻が残る―古典和歌の力を論じた評論です。3210評論Ⅲ 〈Ⅱ部〉306

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