探求 論理国語 ダイジェスト版
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評論Ⅱ評論コラム 1有限による無限の表現「キキー」と鳴くだけのサルとは異なり、人間は意図的に言葉を発するが、使い分けられる音声の種類は有限だ。しかし、音を組み合わせて単語を作り、その単語を並べた文で、無限の内容を表現できる。また、意識して言葉を発する以上、あえて話さないことも可能だから、その中でうそもつける。さらに、眼前にない未来や理想も表現できる。「金のなる木」は明らかに偽りだが、「自由」や「愛」はどうか。こうした抽象概念に対する理解の齟そ齬ごが、それにこだわる人どうしのいさかいも生む。言語の「創造性」が人間を縛りもするのだ。こうした言語観は「構造主義」に基づく。で、「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している」と言う。つまり、「私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない」のであり、言語、その創造性と束縛構*内う造ち田だ主樹た義つるのは言「語寝観ながら学べる構造主義」(二〇〇二年刊)時代や地域などで異なる「文化」によって、認識が縛られている。これが「構造主義」の基本的な考え方だ。そして「言語」は、その「文化」の中の有力な要素である。大庭健も本文で「人間の認識は、言語に枠づけられ・言語によって誘導されている。」(四六・15)と述べている。世界の無限を分節化する世界は無限のものごとに満ちているので、そのありのままを私たちは認識できない。そこで、言語がその混乱状態に適度な区切りを入れ、私たちの認識を助ける。例えば、白と黒の間には無限の段階があるが、それを「白」「黒」、さらに「灰色」と整理する。ただし、その三種類の分節化に合理性はないうえに、「白」「黒」「灰色」を知ったら、無限の段階があったことを忘れ、その分け方に縛られる。言語によるコミュニケーションの大切さばかりが言評論コラムわれるが、それ以前に、こうした言語の働きにも着目するべきだ。無限の段階(区切りなし)分節化(黒・灰色・白)49 評論コラム1*内田樹 1950〜。現代思想研究者。評論で取り上げられたテーマについての興味が広がるよう5つのコラムを掲載しました。29―

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