探求 論理国語 ダイジェスト版
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ょうらねま5やわんいん おうきんみな  1県鳥海にま山た がる標高二千2宮沢賢治 3「種山ヶ原の夜」 宮沢山形県と秋田二百三十六メートルの活火山。一〇一ページ参照。賢治が花は巻ま農学校の教師時代に、生徒たちを指導して上演させた劇。一九二四(大正13)年〈木を伐る人〉と〈木を植える人〉を、対峙の構図でなく不可分の存に在として捉えるべきだ。自然と人間の関係を見つめ直す評論です。公開された。「種山ヶ原」は、岩手県南部の、町・遠と野の市にまたがる高原。称賛寡黙繊細木を伐る、ということ。この時代には、〈木を伐る人〉は忌まれる存在である。〈木を植える人〉が美しい物語に包まれながら、人々から熱い称賛をもって迎えられることとは、ほとんど対照的ですらある。かつて1鳥ち海か山さの麓で炭焼きをしていた友人がいる。無論、彼は〈木を伐る人〉である。その、2宮み沢ざ賢け治じが描く山男のような寡黙な男が、あるとき、何を思ってか、ぽつりとつぶやいた、木を一本も伐るなっていうんだから、困ってしまうよ、と。〈木を伐る人〉の現在が凝縮されたような言葉だな、そう、山男の繊細に過ぎる横顔を眺めながら、わたしは思った。そのとき、わたしの頭に浮かんだのは、賢治の戯曲「3種た山やヶ原はの夜」の一節だった。営林署から払い下げを受けて炭焼きをしている主人公の青年が、夢の中で、樹霊たちと奇妙な約束をさせられそうになる。その約束とは、払い下げを受けても一本も木を伐らないことだ。ゅう奥お州し市・気け仙せ郡住す田た赤あか坂さか憲のり雄お木を伐きる人/植える人評論Ⅲ81 木を伐る人/植える人1610評論Ⅲ 〈Ⅰ部〉

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