探求 論理国語 ダイジェスト版
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りと排除する大人に対して、「大人の会議で決まった変な思いつきは迷惑だなあ。また大人たちが厄介なことを言いだしたなあ。」と思っていた。平凡さを求められた方が、それを演じればいいのだから、私にとってはずっとましだったのだ。「(大人が喜ぶ、きちんと上手に『人間』ができる人のプラスアルファとしての、ちょうどいい)個性」という言葉の何だか恐ろしい、薄気味の悪い印象は、大人になった今も残っている。大人になってしばらくして、「多様性」という言葉があちこちから、少しずつ、聞こえてくるようになった。最初にその言葉を聞いたとき、感じたのは、心地よさと理想的な光景だった。例えば、オフィスで、さまざまな人種の人や、ハンデがある人、病気を抱えている人などが、お互いのことを理解し合って一緒に働いている光景。または、仲間どうしの集まりで、それぞれいろいろな意味でのマジョリティー、マイノリティーの人たちが、互いの考え方を理解し合って、そこにいるすべての人の価値観がすべてナチュラルに受け入れられている空間。発想が貧困な私が思い浮かべるのは、それくらいだった。それがかなえばいいという気持ちはずっとある。けれど、私は、「多様性」という言葉をまだ口にしたことがほとんどない。たぶん、その言葉の本当の意味を自分はわかっていないと感〈知〉のコミュニティへ5911 気持ちよさという罪1510

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